ニッポンの狩猟期2008
1997年5月30日 集英社 1600円+税 235頁
[Data]
#1995年3月号〜96年5月号まで「青春と読書」(集英社)に『ニッポンの狩猟期2006』として連載
#1997年5月、『ニッポンの狩猟期2008』と改題、集英社より刊行
#2005年9月、『ニッポンの狩猟期』と改題、角川文庫より刊行
#装丁: 菊地信義
#装画: 宇野亞喜良
#編集者: 村田登志江


[書評]
「日経新聞」 1997年6月8日朝刊 by森下一仁 (同書評の英訳「JUNE1997」に掲載
「本の雑誌」 1997年9月号 by池上冬樹

 


ニッポンの狩猟期(文庫版)
2005年9月22日 角川文庫 476円+税 264頁
  
[Data]
#1995年3月号〜96年5月号まで「青春と読書」(集英社)に『ニッポンの狩猟期2006』として連載
#1997年5月、『ニッポンの狩猟期2008』と改題、集英社より刊行
#2005年9月、『ニッポンの狩猟期』と改題、角川文庫より刊行
#解 説: 川本三郎
#装 丁: 高柳雅人(角川書店装丁室)
#フォト: Sephen St john
#編集者: 立木成芳


[書評]
「日経新聞」 1997年6月8日朝刊 by森下一仁 (同書評の英訳「JUNE1997」に掲載
「本の雑誌」 1997年9月号 by池上冬樹

[立ち読みコーナー]
◎Amazonなか見! 検索 「目次」と「第一章」の冒頭部分を読めます

再録[文庫版あとがき]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 一九九三年七月二十三日未明、リオデジャネイロの観光名所、カンデラリア教会前の路上周辺で寝ていた八人のメニーノス・デ・ルア(ストリート・チルドレン)が、軍事警察官らに連続的に銃殺された。
 犯人グループの手口は残虐を極めるものだったが、それにも増してショッキングだったのは、ブラジル国民の多くがストリート・チルドレンの抹殺を支持しているという事実である。路上で暮らす子どもたちは保護の対象ではなく取り締まりの対象になっている。農作物を荒らすカラスが駆除されるようにブラジルでは毎日平均五人の子どもたちが殺されている。
 もちろんこれはリオに限らない。サンパウロ、ボゴタ、メキシコシティなど中南米の諸都市、マニラやカルカッタなどアジアの大都市をはじめとして、ユニセフの推定によれば、三千万人以上の子どもたちが路上生活を余儀なくされている。搾取され、虐待され、奴隷のように売買されている。
 これは遠い国の話ではない。街路を浮浪する子どもたちの売春を「援助交際」と呼び習わすニッポンでは、子どもは大人たちの「債務奴隷」と化している。
           *
 右は一九九七年に刊行した単行本のあとがきの一部だが、あれから八年経ち、状況はますます混迷を深めている。
 ブラジルのファベーラ(スラム街)は千八百以上に達し、貧困や親の暴力から逃れて路上で暮らす子どもたちは年々増えているし、ニッポンの子どもたちの援助交際は低年齢化し、渋谷や新宿、池袋の街路では「フレッシュな女の子募集」というチラシが堂々と配られ、応募してきた女子小中学生にネットで集めた客を紹介し、売春させている。また、薬物乱用の低年齢化も進み、十五歳以下の子どもたちまで犯罪者のターゲットにされている。
 一方、長期オーバーステイの外国人も増え続け、二〇〇一年の段階で、法務省には五歳未満の無国籍児が五百五十五人登録されている。だが、不法滞在の母親が強制送還を恐れて出生届を出さず、無国籍状態に置かれた子どもたちはこの数に含まれていない。支援団体の推計によれば、二〇〇五年現在、無国籍児は実質的に一万人を超えているという。
 出稼ぎフィリピーナが「じゃぱゆきさん」と呼ばれ始めたのは一九八三年のことだ。八五年ごろからはいわゆる3K職場に外国人男性の不法就労者が急増した。この年にオーバーステイ同士の夫婦のあいだに生まれた子どもは、在留資格のないまま日本で義務教育を受け、まもなく二十歳になる。高校を卒業後、警察や入管におびえながら両親と同じように過酷な現場で働く者も多いと聞く。
 少子化と労働力不足が深刻化する中、たとえオーバーステイの身であっても、この二十年間、日本経済を底辺で支え続けてきた彼らに、そろそろ孫が生まれてもおかしくないほどの年月が経っている。
 貧困を背景とする途上国の児童売春と、ニッポンの援助交際は本質的に違うという意見があるが、ぼくはそう思わない。二〇〇一年に四十四歳の若さで急逝した井田真木子さんも渾身のルポ『十四歳 見失う親 消える子供たち』で強い感心を寄せていたが、髪の毛をアジア人種と白人種の混血(ユーラシアン)のように薄い褐色に脱色し、制服のスカートを異様に短く吊りあげ、真冬でも人工的に肌を灼き、痩せるためには覚醒剤にも手を伸ばす。巧みな化粧で日本人の特徴を消す少女たちは、なぜそれほどまでコロニアル化された東南アジアを思わせる顔を作ることに熱心なのか。その深層を知りたかったことも本書を書く動機のひとつだった。

   二〇〇五年晩夏                                  盛田隆二