パリよ、こんにちは six romans de paris
2005年12月20日 角川書店 1400円+税 226頁
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#初出: 『野性時代』 2005年10月号 「特集:パリ小説」
#提供作品: 「心はいつもそばにいる − Mon coeur est toujours avec toi」
#共著者: 林真理子、椎名誠、松本侑子、狗飼恭子、唯川恵
#カバー画: 宮城高子
#装丁: 片岡忠彦


再録「心はいつもそばにいる」(冒頭)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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「ねえ、和美さん? このカレンダー、すごいセンスあるね。さすがに本場だな。しおりちゃんもそう思うでしょ」
 平瀬はひどく感心していたが、「うん? だから?」と母はそっけなく返しただけだった。
「いや、だから、お店で売れそうだなって」
 母は首をすくめて苦笑しただけで、黒板と黒板消しや、鉛筆と鉛筆削りのセットを物色しはじめた。
 日本とフランスでは祝日が違うんだから、カレンダーなんて売り物にならないでしょ? と、しおりは平瀬に教えてあげようと思ったが、ばかばかしくなってやめた。
 というのも「ねえ、和美さん?」という声の調子が甘ったるくて気持ち悪かったし、平瀬はカレンダーの話題をすぐに取り下げて、母にくっついて文具売り場を回りはじめたからだ。
 やっぱりひとりで留守番していればよかった。友だちを家に呼んでパジャマパーティでもしてたほうがずっと楽しかった。しおりはそう思ったが、後悔してももう遅い。
 母はヨーロッパの輸入雑貨店を開いている。今回は商品の買い付けのために五泊七日でパリに来たが、それは事実上、彼らの新婚旅行だった。そんなものにつきあわされる娘の気持ちも少しは考えてほしいと思う。ベージュ系のお揃いのコーディネートで決めたふたりと距離を保つために、だからしおりはあえてジーンズとポロシャツで通している。
「彼のこと、無理に父親だなんて思う必要はないから。親戚のお兄ちゃんぐらいに考えてくれればいいからね」
 九歳年下の二十七歳のイラストレーターくんと再婚した母はそう言ったが、実はまだ入籍していない。学年の途中で苗字が変わったら娘がかわいそうだとの母の意見で、来年中学に入る前に正式に籍を入れて平瀬姓を名乗ることになっている。
 それにしても、親戚のお兄ちゃんと手をつないで歩きながら指先でときどき相手の手のひらをくすぐったりするか?
 しおりはかすかに眉根を寄せ、アンティークのミニポスターの前で足を止めた。ポスターといっても、それは万年筆が主流だった一九五〇年代に作られたインクの吸い取り紙だが、印刷されたイラストがとにかく可愛い。
「ねえ、和美さん」としおりは平瀬を真似て母に声をかけた。「これ、すごく良くない?」
 母は振り向き、小さく二度うなずいた。
「うん、そうなのよね。でも残念ながら高すぎる」
 たしかにただの吸い取り紙のくせに高い。安くても七ユーロ、高いのだと平気で二十五ユーロ、三千円以上もする。
 母は次々とフロアを見てまわり、カフェオレボールやハーブミルやソープボトル、それから大量のお香を買うと、「そろそろデタックスね」と言って、三階のカウンターに向かった。
 母が免税の手続きをしているあいだ、平瀬は大きくふくらんだショッピングバッグを抱え、にこにこ顔で声をかけてきた。
「しおりちゃん、これから一旦ホテルに戻ってこの荷物を置いてから、パッサージュめぐりに出るからね。手作りアクセサリーのお店や古着屋さんを見て歩くって」
「パッサージュって……、ああ、ガラスの屋根つき商店街ね」
 しおりはわざとつまらなそうに欠伸をしてみせたが、平瀬はそれに気づかない振りをしている。
 今日で四日目だった。初日こそ凱旋門に上り、ブーローニュの森を散策し、マドレーヌ寺院を見学したが、観光は半日だけで、それから延々と買い付けのお供をさせられている。