リセット
2000年10月28日 角川春樹事務所 2100円+税 336頁
[Data]
#書き下ろし長編小説
#2001年5月8日、2刷発行
#装丁: 高橋雅之
(高橋さんには単行本「サウダージ」「金曜日にきみは行かない」「湾岸ラプソディ」の装丁もお願いしました)
#装画: ハシモトミカ
#編集者: 原知子

[書評]
[書評]のメルマガ 2000年11月30日号 by 守屋淳
「JAPAN TODAY」 2000年12月22日 by Mami Fukae
「本の雑誌」 2001年1月号 by 吉田伸子
「高校教育資料 SONPO SQUARE」 2005年spring号の「主人公は高校生」で紹介

 

リセット(文庫版)
2005年4月15日 ハルキ文庫 740円+税 407頁
  
[Data]
#書き下ろし長編小説
#2000年10月28日、角川春樹事務所より刊行
#2005年4月15日、角川春樹事務所より、文庫刊行
#2005年5月15日、2刷発行
#2006年2月15日、3刷発行
#解説: 重松清
#装丁: 今西真紀
#写真: 杉村和幸
#編集者: 原知子

[書評]
[書評]のメルマガ 2000年11月30日号 by 守屋淳
「本の雑誌」 2001年1月号 by 吉田伸子
「高校教育資料 SONPO SQUARE」 2005年spring号の「主人公は高校生」で紹介
「北海道新聞」 2005年5月8日号

■関連エッセイ再録 「『リセット』前後」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 一家団欒の土曜の夜、居間のテレビに〈神戸市の小学六年男児惨殺事件の容疑者逮捕〉のニュース速報が流れたときの衝撃はいまも生々しい。
〈容疑者は中学生〉のテロップが出て、さらに〈十四歳〉と続報が出た。
 ぼくは絶句し、息子の顔を見た。十四歳の息子は不機嫌そうにニュースを見ていたが、「やっぱりな」とつぶやき、自室に入っていった。
 翌日、何が「やっぱり」なのか、息子に訊いてみたが、「そんなこと言わないよ」とかわされてしまった。
 犯人はやっぱりおれと同学年のやつだったのか……。息子がそう思ったのかどうかはわからない。この事件について彼はあまり話したがらなかったし、HRで積極的に〈少年A〉の話題をとりあげる担任のことも、快く思っていないようだった。この事件は、親や教師が受けた何倍もの衝撃を、彼の柔らかな心に与えたのだろう。
〈十四歳〉の〈心の闇〉が連日のようにマスコミにとりあげられ、やがて中学生がナイフで女性教師を刺殺する事件が起きた。護身用のバタフライ・ナイフを所持する中高生が増えているという。
 いったい何がどうなっているのか。いま親としてなすべきことはないのか。妻と話し合っても堂々めぐりの議論になるだけで、無力感ばかりが募る。そんなある日、妻が息子の机の引き出しからナイフを発見した。
 ついに来たか、と思った。息子を問いただすと、ゆすり、たかりをする上級生から身を守るためだという。そんなちっぽけなナイフで戦えるはずがない。そんなものを持っていたら、逆に大ケガをするだけだ。ぼくはそう言って、息子からナイフを取りあげた。
 それにしても、ほかに言うべき言葉はなかったのか。しばらく自問自答をくりかえしたが、父親として自信を持って息子に伝える言葉はみつからない。いや、父親としてだけでなく、作家の端くれとしても、〈心の闇〉という体のいい言葉が隠し持つ、その暗部に踏みこまざるを得ないのだろう。そうは思うのだが、そのようなモチーフを小説の形にするのは容易でない。
 じつは息子の「やっぱりな」というつぶやきを聞いて、ふいに思い出したことがある。
 麻原彰晃が自分と同年代であることを初めて知ったとき、ぼく自身「やっぱりな」と、妙に納得してしまったことだ。麻原もぼくと同じように、カゲキ派の陰惨な内ゲバ事件が続発した、あのたとえようもなく暗く空虚でしらけ切った〈七〇年代〉に自己形成をした世代なのだ、やっぱり……。
〈七〇年代〉と現在はあきらかに地続きになっている。ここ数年の少年の凶悪犯罪は、ぼくら親の世代が内部に抱えこんだ空虚やしらけが爆発的に噴きだしている現象に思えてならない。そういう意味で〈十四歳問題〉は、ぼくにとって自分自身の問題でもあった。
 何人もの少年に取材をし、書きはじめるためには三年の時間が必要だった。小説に取りかかったとき、息子は十七歳になっていた。
 すると今度は〈十七歳〉による事件が多発した。「人を殺す経験をしてみたかった」という動機で老女を殺害した少年や、バスジャック犯の少年の内面に思いを馳せ、虚しさをかみしめながら書き進めた。
 そうして書きあげたのが拙著『リセット』(角川春樹事務所)である。九七年六月二十八日、神戸の〈少年A〉が逮捕された日を中心に、その前後二週間の日本の高校生と、その親の群像を描いた。状況に対して絶望しすぎず、かといって無根拠な希望も持たず、ギリギリの地点でふんばって書いたつもりだ。
 刊行後、いくつか書評が出た。デビューしたばかりの頃は自作の評判が気になって仕方なかったが、近頃では一喜一憂することもなくなった。そのはずなのに、今回ばかりは気になった。これほど賛否の激しい反応はいままでなかったからだ。作家自ら、批評を紹介するのも奇妙なものだが、誤解を招くことも承知の上で、まずは好意的な評から。
「売春、いじめ、麻薬、家庭内暴力などを女子高生の視点から生々しく描き、子供の行動に対処できない親たちの心の迷走をあぶりだした小説だ。背景は神戸での児童連続殺傷事件。崩壊しつつある日本人の心と社会を写し取っており、読後の衝撃が大きい問題作」(時事通信)
「盛田隆二は得意の「群像劇」によって、そこにないのはただ「生きて可能なリセット」だけという切羽詰った世界を見事に出現させた。わたしたちもまた、生きて「リセット」を望みながら、ますます「リセット」が遠のいていくことを感じている」(図書新聞)
 次に全面否定の評。
「〈女子高生のいま〉を衝撃的に描いている問題作だそうだ。なるほど。よくもこれだけ嫌なことばかり詰め込んだものである。これらはすべて綿密な取材の賜物なのだろう。いくら信じ難くても現実に起こっていることなのだから目を背けるべきではない、といいたいところだが合点がいかない。別に作家だから世人を啓蒙しなければならない謂れはないが、問題は〈女子高生のいま〉ではなく、素材を扇情的に扱うこの〈オヤジ作家の心根〉の側にあるのではないか。これではテレビの猥雑な特番以下だ」(WEB本の雑誌)
 ふぅ。ある意味でぼく自身、読む人の気持ちを逆撫でする「やすり」のような小説を書こうとしたのだから、このような批評も甘受しなければならないが、『リセット』は息子がつぶやいた「やっぱり」に対する親の世代からの応答である。〈オヤジ作家の心根〉が残念ながら上記書評者の心に届かなかったのであれば、ここは謙虚に受け止め、〈七〇年代の空虚〉と真正面から対峙する「続編」を書かなければならないだろう。
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●盛田隆二(「月刊国語教育」2002年5月号)