ストリート・チルドレン
1990年4月17日 講談社 1500円(税込) 272頁
[Data]
#1988年6月号〜89年3月号まで『早稲田文学』に「三百年後の一夜」として連載。
#連載時の担当編集者は、若き日の重松清氏でした。
#尚、早稲田文学総目次で、『ストリート・チルドレン』刊行以前に盛田が同誌に発表した小説・エッセイを検索することができます。
#1990年4月、『ストリート・チルドレン』と改題して、講談社より刊行
#第12回(90年度) 野間文芸新人賞候補  《選評》
#2003年11月、新風舎文庫「記念すべきデビュー作シリーズ」より、13年ぶりに復刊
#装丁: 田中紀之
#編集者: 川端幹三+安部俊雄


再録[単行本あとがき]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 1枚のコンサート・チケットのことが伝説のように語られてきた。
「ロック・エクスプロージョン・ニュー・イヤー・スペシャル」と銘打たれたそのチケットには、武道館大ホール、S席¥2800、主催ウドー音楽事務所、プロデューサー糸山英太郎とある。1973年1月28日から5日間にわたる初の来日公演に向けて、前年の12月1日から発売された、ザ・ローリング・ストーンズのコンサート・チケットだ。
 だが発売直後から、不穏な噂が立ちはじめる。“キースの件”で、来日は無理かもしれない。ドラッグ常習者として久しく警察と清教徒集団の攻撃の的になってきたキース・リチャーズに対して、ニース警察が逮捕状を発行したらしい。
 そして公演の9日前になって突如中止の報。
 法務省の入国拒否により、ストーンズの来日は幻と化したのだった。
 1973年。オイルショックと 「日本沈没」 とコインロッカーベビーが終末感をあおりたて、金曜日に花とワインを買い、休日にハンバーガーを食べながら子どもと性について語りあうニューファミリーが登場し、中核糾察隊と革マル特別行動隊と革労協プロレタリア突撃隊が白昼ところかまわず戦闘を展開し、山口百恵がデビューし、はっぴいえんどと頭脳警察が解散し、渋谷にパルコがオープンし、新宿の風月堂が閉店したこの年、ぼくは高田馬場の予備校に通う19歳だった。
 1973年へのこだわりと19歳へのこだわりが、重なりあう。    
           ○
 1987年4月号の「早稲田文学」に、ぼくは「1973年の新宿と犬の首輪」という百枚ほどの小説を書いた。
 しばらくして、講談社の安部俊雄さんという未知の編集者から手紙がきた。
「今では何もなかったかのように思える1970年代に、みっともなく、手応えもなく、変てこな、しかし、何か好ましい「生」があったことを、几帳面に(とはいえないかもしれませんが)書き連ねている点に好感をもちました。…ですが、ご承知のように文芸書、とくに短編集はなかなか出版できないのが現状です。…漠然とした書き方で申し訳ありませんが、1970年代をテーマに、長いものをお書きになる気はありませんか?」
 図書館に行き、「新宿区の歴史」という本を借りてきた。そして巻末の年表を眺めた。
 それくらいしか思い浮かばなかったのだ。
 だが、そこにはヒントがあった。
 1698年(元禄11年)、内藤新宿開設。
 ぼくはその1行にひどく興奮した。
 1698+300=1998
 1年後、ぼくははじめての長編小説に「三百年後の一夜」というタイトルをつけ、「早稲田文学」に連載をはじめた。そしてそれは1989年3月号で完結した。
「思ったより早く完成しましたね」と安部さんがにこにこしながら言った。「さて、ゆっくり手を入れていきましょうか」
 図書館に行き、「新宿区地図帳」という本を借りてきた。そして地図を眺めた。隅から隅まで眺めた。しかし、なんのヒントもなかった。ゆっくりと時間がすぎていった。
 元号が変わり、世間は消費税と天安門と宮崎青年に集中砲火を浴びせていたが、ぼくはまだ元禄11年とその三百年後の一夜の間を行ったり来たりしていた。
 そうこうするうちに安部さんが人事異動でセクションを替わった。
 新しく紹介された川端幹三さんがにこにこしながら言った。
「書き下ろしのつもりで、もう一度はじめから読み直してみましょうか」
 ふう。ゴルビーが世界の人気者になり、ベルリンの壁が消え、あっという間に1990年になった。90年代を読む式の本が洪水のように出版され、世紀末をめぐって不毛な議論が交わされた。削ったり、書き加えたり、怒ったり、うんざりしたりしているうちに、小説はなんとか少しずつ形を整えていった。
 だが、タイトルが違う、その思いがいつも頭の隅にひっかかっていた。時間は矢のようにすぎていった。ぴったりとしたタイトルが思いつかなかった。
              ○
 そして今日。熱狂の東京ドーム。もう絶対に来ないものと思っていたストーンズ。
 酔いしれるぼくの上に、ひとつの言葉が降りてきた。
 ストリート・チルドレン。
 人生は路上に投げ出されている。
 部屋にとじこもるな。自分にたてこもるな。
 人は路上で生まれ、路上で死ぬ。
 その運命を嘆くな。その運命を愉しめ。
 人生は夢にしたがう。
 大いなる夢。ちっぽけな夢。
 夢は路上に転がっている。
 ストーンズの見た夢は、長く資本主義圏の若者たちに影響を与えつづけ、そしていま、 中国や東欧やソビエトの民主化に深い影響を与えている。
 願わくは、フィリピンの路上で眠る子供たちにも、ストーンズの大いなる夢を……。
  1990年2月14日                            盛田隆二
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ストリート・チルドレン(新風舎文庫版)
2003年11月5日 新風舎文庫 590円+税 286頁
[Data]
#1988年6月号〜89年3月号まで 『早稲田文学』に 「三百年後の一夜」として連載。
#連載時の担当編集者は、若き日の重松清氏でした。
#尚、早稲田文学総目次で、『ストリート・チルドレン』刊行以前に盛田が同誌に発表した小説・エッセイを検索することができます。
#1990年4月、『ストリート・チルドレン』と改題して、講談社より刊行
#第12回(90年度) 野間文芸新人賞候補  《選評》
#2003年11月5日、新風舎文庫 記念すべきデビュー作シリーズより、13年ぶりに復刊
#文庫の巻末資料として、90年当時、各紙誌に掲載された書評・選評・インタビュー(吉本隆明、
 柄谷行人、岡田幸四郎、小笠原賢二)を収録。尚、吉本隆明氏の『ストリート・チルドレン』書評
 は 新・書物の解体学(メタローグ)にも収録されています。
#装丁: タナカノリユキ(田中紀之)
#編集者: 米山勝己

[関連講演・他]
#2003年12月7日 講演会ドットコム主催 「『ストリート・チルドレン』 デビュー前夜」講演
#2004年12月15日、第2刷発行

[立ち読みコーナー]
◎BOOKSルーエ 「第一章」の冒頭部分を読めます
◎Amazonなか見! 検索 「目次」と「第一章」の冒頭部分を読めます

[ 記念すべきデビュー作シリーズ ] の書店POP
版元に求められて『ストリート・チルドレン』執筆時の写真使用(当時35歳。7歳の息子と)
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ストリート・チルドレン(新装・文庫版)
[Data]
#2005年7月8日 新風舎 新装版刊行 590円+税 286頁
#本文内容は、旧カバーの文庫と同一です。
#装丁: 中澤裕志 (Super Material,Inc.
#フォト: 加藤新
#編集者: 米山勝己
                            #3案から赤帯を採用 クリックで拡大

#7月23日 新装版刊行を記念して、リブロ池袋本店にてサイン会。開催中、震度5の地震発生!
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再録[新風舎文庫版あとがき]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「願わくは、フィリピンの路上で眠る子どもたちにも、ストーンズの大いなる夢を……」と、単行本のあとがきに書いてから、十三年の年月が流れた。  
 今回、文庫に収められることになり、久しぶりに読み返してみたが、あらためて十三年という時間の長さを実感させられた。  
 その未熟で青臭くて硬質な文章もさることながら、吹きこぼれるような若さ故の過剰さに圧倒され、まるで他人が書いた小説を盗み読むような気分さえ味わったのだ。  
 新宿を舞台に三百年間にわたる一族の生と性を描く──。  
 いやはや、とんでもなく無謀なたくらみだ。いまのぼくなら構想段階で怖気づいてしまうかもしれない。  
 この小説を書いたとき、ぼくは情報誌の編集を生業としていた。深夜、仕事を終えて帰宅し、ひと風呂浴びると、髪を乾かす時間ももどかしく、家族の寝静まった台所のテーブルに向かい、憑かれたようにワープロのキーを叩いた。それがやがて一冊の本になることなど想像もせず、寝る間も惜しんで一心不乱に書きつづけた。物語を作ることへの、この訳のわからぬ情熱はいったいなんだったのだろう。  
 三百年前のある日、十九歳の青年・三次が生まれ育った下諏訪の村を飛びだし、開設されたばかりの内藤新宿にたどり着く。彼がそこでなにを考え、だれと交わり、どのように死んでいくのか。それは考えればわかるといった類のものではない。その三次を一代目として、彼から流れ出た血の因果が、三百年後にいかなるカタストロフをもたらすのか、まるで見当もつかない。だが、とにかく書くことだ。一行ずつ書いていけば、やがてなにかが見えてくるだろう……。初めての長編小説に挑もうとしているのに、ぼくはプロットもなにも考えていなかった。新宿の三百年を書く。それだけで十分だった。
             ○
「一冊で三冊分楽しめる! 前代未聞の《時代・現代・近未来》小説」
 講談社から出版していただくことが決まり、浮き足立ったぼくはこんなコピーを作って編集者のヒンシュクを買ったりもしたが、本書を刊行した一九九〇年において、最終章の舞台にした一九九八年とは、単に八年後の近未来ではなかった。
 東西冷戦構造によって保たれてきた世界秩序が失われ、世界各地で大規模なテロが頻発するアナーキーな世紀末を、学者、知識人、ジャーナリストのみならず、市井の人々までもが予見していた。一九九八年とはそんな世紀末思想の記号でもあったのだ。
 いや、なにぶん愛着のあるデビュー作なので、あとがきにもつい力が入ってしまう。
 読者の皆さんには、ただ三百年という時間を、物語の登場人物とともに疾走しつづける快感を味わっていただけたら、と思う。
 そして、この物語に少しでも共感していただけた方には、ぜひお勧めしたい本がある。本書の続編に当たる『ニッポンの狩猟期2008』(集英社)だ。一族の十三代目の青年・鉄男は出稼ぎフィリピーナとのあいだに子をなすが、その子が十歳の夏を迎える二〇〇八年の新宿を舞台にしている。併せて読んでいただけたら嬉しい。
 今回の文庫化にあたっては、新風舎の城村典子さん、宮下英一さん、米山勝己さんに、大変お世話になった。装丁は単行本に引きつづき、タナカノリユキ氏にすばらしい作品を提供していただいた。この場をお借りして、お礼を申し上げたい。
 最後に昔日のエピソードめいた話になるが、この長編を『早稲田文学』に連載したとき、編集を担当していただいたのが、若き日の重松清氏であった。氏は勤務していた出版社を辞め、同誌の編集に就いたばかりだった。当時、同編集室で指揮を取られていた江中直紀氏とともに、無名の新人を激励、鼓舞してくれたいちばん最初の編集者に、ここであらためて謝意を表したい。
   二〇〇三年九月二十日                      盛田隆二

 


ストリート・チルドレン(光文社文庫版)
2009年10月8日 光文社文庫 533円+税 279頁
  
[Data]
#1988年6月号〜89年3月号まで 『早稲田文学』に 「三百年後の一夜」として連載。
#連載時の担当編集者は、若き日の重松清氏でした。
#尚、早稲田文学総目次で、『ストリート・チルドレン』刊行以前に盛田が同誌に発表した小説・エッセイを検索することができます。
#1990年4月、『ストリート・チルドレン』と改題して、講談社より刊行
#第12回(90年度) 野間文芸新人賞候補  《選評》
#2003年11月5日、新風舎文庫 記念すべきデビュー作シリーズより、13年ぶりに復刊
#2009年10月8日、光文社文庫より刊行
#解 説: 中川五郎
#装 丁: 高林昭太
#編集者: 鈴木広和
#初刷の帯


[書評・他]
★印のついたものはWEB上で読めます
◎「日刊ゲンダイ」 2009年11月19日 に書評掲載 ★

再録[光文社文庫版あとがき]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 処女作には、その作家のすべてが含まれている。したがって、どんな作家も処女作から抜け出ることができない、とよく言われる。あるいは、作者は処女作に向けて成熟する、とも言われるが、このたび『ストリート・チルドレン』が光文社文庫に収められることになり、しばらくぶりに通読してみて、なるほど、新宿を舞台に三百年にわたる一族の軌跡を描いたこの物語はまぎれもなくぼくの原点であり、本書でデビューして以来、『ニッポンの狩猟期』や『夜の果てまで』や『散る。アウト』『ありふれた魔法』も含めて、ぼくはこの物語のさまざまな変奏を試みつづけてきたのだ、との思いを新たにした。  
 この小説を書いたのは一九八九年、いまからちょうど二十年前のことになる。  
 松下幸之助、手塚治虫、開高健、美空ひばり、松田優作ら、昭和を代表する人々が相次いで亡くなったこの年、都庁舎は新宿ではなく丸の内にあったし、新宿駅にはまだ自動改札機も導入されておらず、駅員が改札鋏をカチカチ鳴らしながら、切符に切り込みを入れていた。ポケベルさえまだ物珍しかった、そんなアナログの時代だ。最終章の舞台となった一九九八年は、まさに世紀末のイメージに彩られた近未来だったが、インターネットや携帯電話があまねく普及した世界など、当時は想像さえできなかったのである。  
 今回の文庫化にあたって、最低限の加筆修正をほどこしながら、物語が時代に追い越されることの残酷さを味わいもした。だが同時に、追い越されたことで逆に、自分があの時代に夢想した「近未来」が、あり得たかもしれない「近過去」として、小説のなかにひっそりと息づいていることも発見した。それはなんとスリリングで心躍る体験だったろう。  
 末筆ながら、文庫刊行に際し、光文社文庫編集部の鈴木広和さんに大変お世話になった。装丁では高林昭太さんに多大な労をとっていただいた。この場をお借りして、お礼を申し上げたい。そして、解説をこころよく引き受けていただいた中川五郎さん、今夜はどこの街のライヴハウスで歌ってらっしゃるのでしょうか。心より感謝します。  
 二〇〇九年 晩夏  
   「腰まで泥まみれ」(作詞作曲=ピート・シーガー/訳詞=中川五郎)を聴きながら  
                                            盛田隆二