■『リセット』立ち読みコーナー■   2005 Apr 16 (Sat)  



  1 ── 一九九七・六・二十(金)



「ねえ、早くしてよ、時間ないんだから」
 絵梨はベッドのふちに腰を下ろすと、髪のなかに両手を差し入れ、背中に跳ね上げた。

 桃子は床に片膝をつき、ポラロイドカメラをかまえている。

 菜々は下唇をかみ、上目をつかって絵梨を見た。

「なんなの、その顔は、え?」と絵梨があごをしゃくりあげた。
「なんか文句でもあるの?」

 菜々は思わず窓の外に視線をそらした。夕暮れの商店街を忙しなく行きかう買い物客の
姿が見える。だが、窓が閉まっているので、外の音はまったく聞こえない。空の高みには
骨のように白い月が浮かんでいる。

「おらおら、もっとめくれー」
 美和子が手のひらを上に向けて、風を起こすようにあおいだ。菜々は大きく息を吸いこ
むと、ショーツが見えるまでセーラー服のスカートのすそをたくし上げた。

「ほら、顔こっち!」
 あずみが怒鳴り、次の瞬間、ストロボが光った。

「オーケーよぉ」と桃子が舌足らずな声で言った。「今度は横向きねー」

 菜々は身体の向きを変えながら、額の汗を手の甲でぬぐった。桃子の部屋はクーラーが
ききすぎて寒いほどなのに、汗がふきだしてくる。

「もっとお尻、めくって!」
 あずみの指示に、菜々は黙ってしたがった。

 絵梨は腕を組み、つまらなそうにこちらを見ている。

「はーい、一丁上がり!」
 ひととおりのカットを撮り終えると、美和子がコンビニの袋を差しだした。

 菜々は床にしゃがみ、ショーツを足首から抜き取った。

「くっせー」と美和子が顔をしかめた。「おもらし、したんじゃないだろうね」

「だって、最低三日、はきかえちゃいけないって、絵梨がねえ?」
 桃子が菜々をかばうように言った。

「そっか、えらいんだねー」と美和子が言った。「素直でいいよぉ」

 絵梨はベッドから伸ばした両足の先を交差させ、前髪を揺らして笑っている。

「ねえねえ」とあずみがポラの写り具合を点検しながら、絵梨に訊いた。
「オナニーとおもらしって、どっちが売れ線だと思う?」

「さあね」と絵梨は肩をすくめ、ベッドから腰を上げると、すばやくセーラー服を脱ぎ、
フェンディのシックなワンピースに着がえはじめた。

 菜々は絵梨のほうにちらっと目をやり、ふたたび顔を伏せた。

 絵梨は麻布のフランス料理店のオーナーと月四十万円で契約していて、そのワンピース
もオーナーに買ってもらったものだという。色白で華奢な身体つきの絵梨はいかにも清純
派の女子高生に見える。クラス委員をしているし成績もいいので、男教師はもちろんのこ
と、口うるさい女教師にも受けがいい。

 絵梨は制服をたたみ、ヴィトンのバケツに入れると、唇の両端をしぼり上げた。
「悪いけど、これから仕事なんだ。あとはよろしく頼むね」

 菜々は気づかれないように息をつき、桃子の顔を見た。彼女もかすかにうなずいた。

「いいよねえ、パパ持ちは。こっちはパンツ売ってなんぼだもんね」
 美和子の言葉に、あずみがチッと舌を打った。
「ツーショットのバイトなんてさ、毎日やったって、月五万とかしかいかないんだから。
美和子が歩合いのほうがいいって言うから、でも時給選んだほうが得だったよ、千二百円
とかでも」

「だ、か、ら」と絵梨がうんざりしたように言った。「紹介してあげるって言ってるじゃ
ん。単発のショートで十万出すってオヤジの話、したよね、このあいだ。耳鼻科じゃなく
て中古車屋のほう。オールなら倍出してもいいって、とにかくすごい乗り気なんだから」

「だってそいつ」とあずみが眉をひそめた。「ハゲデブスの変態なんでしょ」

「そうそうそう」と美和子が身を乗りだした。「セーラー服だ、スクール水着だ、体操着
だってやたら着がえさせて、必ずおしっこ飲みたがるって。オールはちょっとやばそうだ
けどさ、たった二時間我慢するだけでバイト二か月分だよ。あずみ、やればいいじゃん」

 あずみは首をかしげ、脱色して毛先だけカールした短めの髪を指にからませていたが、
「まあ、美和子がやるなら」としばらくして口を開いた。「次にやってもいいけど」

「なーに言ってんのよ」
 美和子は小鼻をふくらませた。
「プリクラ見てソッコー、あずみのこと指名してきたんでしょ、そのオヤジ」

「すねないの」と絵梨が言った。「あずみみたいなコギャルタイプが趣味なの、そいつ。
美和子には耳鼻科のほう、口きいてもいいよ。いってせいぜい四万だけど、どうする?」

 美和子は白メッシュの入った髪をかき上げ、伸びをするように胸をそらした。
「四万かぁ、切羽つまったら頼むかもしんない」

「なによ、嫌がってるのに、無理に誘ってるみたいじゃない、これじゃ」
 絵梨はドアノブに手をかけ、菜々のほうを振り向いた。
「パー券、ちゃんとさばいてる? 約束はきっちり守ってもらうからね」

 菜々はスクールバッグを抱えたまま、黙ってうなずいた。バッグには替えのショーツが
入っている。早くそれを着けたかったが、美和子がそれもブルセラに売り飛ばすと言いだ
しかねないので、じっとしていた。

 絵梨が帰ったあとも美和子とあずみはなかなか出かけようとせず、カラオケの合コンで
知り合った慶応医学部の大学生の話や、伝言ダイヤルのサクラで確実に返事をゲットする
メッセージの入れ方や、敵対していない女子高校のグループからデートクラブの日替わり
ローテーションを申し込まれた話や、神戸の事件が起きる前にインターネットの掲示板に
酒鬼薔薇の文字が流れていたらしいという話で盛り上がっていた。

 桃子は話に加わらず、勉強机に向かってぼんやりしていたが、ふと思い出したように、
「パー券、あと何枚?」と小声で訊いてきた。

「二十六枚」と菜々は答えた。
「あと七万八千円か。かぶったら痛いね」

 菜々は黙っていた。桃子は同情しているつもりなのだろうが、早く売ったほうがいいと
急かされているようにしか感じられない。

 パーティまで、もう一週間しかなかった。菜々は都立高に行った同級生のツテを頼って
四枚売ったが、ひたすらナンパ目的でパーティに顔を出す男子と、放課後にいちいち渋谷
か池袋あたりで待ち合わせてパー券を売るのは苦痛だった。