エッセイ再録 「レーモン・ラディゲと 『積乱雲』」  2005 Nov 20 (Sun)  

■11/18 小説講座の第1回を開催。
http://www.pub.co.jp/school/coza/0511morita.html

 参加者には顔見知りも何人かいて、その中にかつて
 の早稲田大学の教え子の姿があった。
 最近ちょっとスランプ気味なので、そういう懐かしい
 顔に出会うと、それだけで励まされる気分になるが、
 教え子曰く「先生、HPのメモ、ぜんぜん更新しない
 から、つまんないです」

 うん、たしかにHPを立ち上げた1年前はけっこうな
 頻度で更新していた。
 それが最近はほとんど書いていない。それほど飽きっ
 ぽい性格ではないけれど、たしかに根気がない(苦笑)

■なので、「メモ」を無理やり更新する手立てとして、
 新聞雑誌等に掲載したエッセイをなにげなく再録する
 ことにします。
 再録シリーズその@は「小説講座」でちょっとだけ触れ
 た、大学時代の同人雑誌の思い出。
 (以下、角川書店の担当者の確認はとっていないけれど、
 HPでの再録はOKですよね?)



 レーモン・ラディゲと『積乱雲』―――――――――――――

                         盛田隆二


 長年暮らしている川越は古い城下町で、紀伊國屋書店をはじめ

 として書店の数は多いが、残念ながら人文書、専門書の品揃え

 は豊富でなく、去年、三百坪の売場を持つブックファーストが

 川越駅ビル内にオープンするまでは、一冊の本を買うために、

 池袋まで出る必要があった。

 行きつけの店は大学生のころからずっと「芳林堂書店」池袋店。

 縦長のビルはフロアごとに整然とジャンル分けされ、図書館の

 ように落ち着いた雰囲気が好ましかったし、なによりも左翼思

 想系の充実した棚づくりに、川越にはない文化の香り(!)が

 感じられて、店に一歩足を踏み入れるだけで、浮き立つような

 気分になったものだ。


 当時、最上階の七階には古書店「高野書店」と、喫茶店「栞」が

 入っていた。芳林堂で新刊本を買い、高野書店の棚をひとわたり

 眺めてから「栞」に入る。お金のない大学生にしてみれば、買っ

 たばかりの本をめくりながらコーヒーを飲むことなど、滅多に

 できない贅沢だったが、考えてみれば、いま流行りのブックカフ

 ェがすでに三十年以上も前から存在していたのだから、池袋が

 かつてモンパルナスに擬えられたこともうなずける。


 高野書店は幻想文学や人文書の品揃えが絶妙で、SFやミステ

 リの絶版本もここに来ればほとんど手に入る、と噂されていた

 マニア垂涎の店だった。

 床から天井に届くほどびっしり書物が並べられた店内は、厳か

 で秘密めいた雰囲気に満ちていたが、ほかの古書店と比べて

 値段がかなり張り、貧乏学生にはなかなか手が出せなかった。

 幻想文学ではないが、バイトをしてためた金で、欲しかった東京

 創元社の『レーモン・ラディゲ全集・全一巻』をやっと手に入れ、

 「栞」でそっとページを開いたときの感動はいまでもはっきりと

 憶えている。


 そんな大学生時代、ぼくは高校の同級生とともに「積乱雲」という

 文芸同人誌を作っていた。それを一号だけ芳林堂書店に置いて

 もらったことがある。

 いま、押入れの奥から探しだしてきた。「積乱雲8/中上健次特

 集号」。ぼくは芳林堂書店に出向き、置いてもらえませんか、と

 おそるおそる訊いた。

 店長さんは、A5判、六十ページ、活版印刷の冊子をパラパラめく

 り、軽くうなずいた。

 「うん、七掛けでよかったら、十冊ぐらい置かせてもらおうかな」

 あまりの即決に驚き、「ほんとにいいんですね?」とぼくは二度も

 確認した。定価は三百円だったので、七掛けということは、十冊

 売れれば二千百円の売り上げになる。


 「あの、売れた分は、どうやって集金したらいいんですか?」

 「九月号が出たら持ってきてよ、そのとき清算するから」

 その返事を聞いて、ああ、勘違いしてるな、と気づいた。

 そのときちょうど八月だったのだ。「8」という数字は単に第八号

 の意味で、ぼくらはせいぜい年に二冊出すのが精一杯だった。

 だが、次号は来年になります、などと言ったら、置いてもらえな

 くなってしまうかもしれない。ぼくはそれを恐れて「よろしくお願

 いします」と深々と一礼して、店を出た。


 大学の帰りに、しばしば店に立ち寄った。同人誌のラックの中で

 も「積乱雲」はかなり目立つところに置いてあり、それがとても

 嬉しく誇らしかった。六冊売れたところまで確認したが、ある日

 見に行くと、ラックから消えていた。全部売れてしまったのか、

 あるいは第九号を納品しなかったので倉庫にしまわれてしまっ

 たのか、どちらかわからない。

 その日、店長さんはあいにく不在で、店員もみな忙しそうだった

 ので、事情を訊くことはせず、店を後にした。とにかく早く第九

 号を作って納品しなければと思ったが、まもなく就職活動に入り、

 それどころではなくなった。大学を卒業してからも同人誌は続

 けたが、第九号が出るまでに一年以上かかってしまい、結局、

 集金しそびれてしまった。


 あれから三十年近い月日が流れた。最上階にあった古書店の

 高野書店はその後、池袋駅西口の歓楽街の入り口あたりのビル

 に移転し、そこでしばらく営業を続けていたが、一九九八年に店

 を閉じた。

 一方、芳林堂書店も相次ぐ大型書店進出の大波をかぶり、多くの

 人に惜しまれつつ、二〇〇三年十二月三十一日をもって、五十七

 年間にわたる歴史に幕を下ろした。世代を超えて親しまれてきた

 老舗の閉店はたとえようもなく淋しい。


 ちなみに幻想文学とSFに造詣の深い高野書店のオーナー氏は

 その後、区議会議員に転身し、豊島区長になったという。そのこ

 とは古書マニアのあいだでいっとき話題になったが、それを書く

 にはもはや紙数が尽きた。


―――角川書店 『本の旅人』 2005年6月号「書店の遠景」 掲載