■『ありふれた魔法』著者インタビュー■  2006 Oct 06 (Fri)  


◎2006.10.6 『ダ・ヴィンチ』11月号掲載
 取材・文/河村道子
 撮影/寺澤太郎

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リアリズムの名手が描く“もうひとつの人生”
デビュー以来、 “自分の居場所を探す者たち”を描き続けてきた
盛田隆二さん。しかし、今回は確かな居場所を持つ男が主人公。
恋という “魔法” で、 そんな男の見えていた人生がどんどん
変わっていく不可思議――あなたは今まで考えもしなかった
“もうひとりの自分”を本作の中に見るかもしれない。

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不倫小説?
いいえ、“不惑”の男の冒険小説です。

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 自分がもっと若くてきらきらと輝いていたあのころの自分だっ

たら――。 年齢を重ねるということはきっとそういうあきらめを

いくつも抱えることである。さまざまな選択肢のドアを自分の手

で閉める。自分が築いてきた人生のために、家族のために、平

穏な毎日のために。 盛田さんが今回描いた主人公、秋野智之も

そんな男だった――。


「僕はデビュー作から書いている時の年齢が、主人公の年齢と

重なることはなかった。自分がその年齢の時に考えていたことを

客観的に見ることができるのって10年以上かかるでしょう。 でも、

今回は44歳と僕より少し下だけど、初めて同年代の主人公を書

いてみました。等身大の中年男が抱え込んだ人生を書いてみよう、

いや書かなければいけない、と思ったんです」


 秋野智之は都市銀行の支店次長職。中学生を頭とする3人の

子どもの父親でもある。自分の人生を受け入れながら激務に奔走

する毎日――。 だが、突然、秋野は部下の森村茜に“恋”をしてし

まう。


「色恋なんて卒業したと思っている人間がどんどん変わっていく。

もう先が見えてきた人生、踏み外せないはずなのにどうしようも

なく足元が揺らいでくる。 自分のことなんてわかっているようで

実はわかっていないんですね。そんな人間の人生の危うさ、不

可思議さを描いてみたかったんです」


 堅実に生きてきた人間の象徴として、盛田さんは銀行員を主人

公に選んだ。無縁の分野の取材を重ねるなかで見えてきたのは、

日々数字に追いかけられ、融資を断ることが人を追いつめること

につながるという精神的にも過酷な世界。本作では銀行内の厳し

い規律や複雑な人間関係もストーリーを構成する重要なファクタ

ーとなっている。


「一番厳しいのが男女関係。噂が立っただけで左遷の対象になる。

不倫なんて無縁。 今、 あまりにも不倫という言葉が軽くなってき

ているでしょう。 一般的には恋愛のひとつくらいに思われている。

でもこの主人公にとっては大変なこと。まさに冒険なんです」


 そんな危険と隣り合わせと自覚しながらも、互いに交わす何気

ないメールにときめいたり、 ご飯を一緒に食べたり、 手をつない

で歩いただけで、 途方もない幸福感を感じたり……そんな秋野と

茜の姿は “不倫” という言葉で呼ぶことに罪悪感を覚えるほど

初々しい。生真面目な2人があくまでも上司と部下の関係を崩さな

いよう、互いに緊張しながら逢瀬を重ねていく描写はまるでファン

タジーのようだけれど、踏み込む踏み込まないの秋野の気持ちの

揺れには、読んでいるほうもドキドキしてしまう。


「恋に落ちるなんて所詮 “ありふれた魔法” ですけどね。 スピッ

ツの 『ロビンソン』 の一節からとったタイトルには、 そんな意味

を込めたのですが、歌詞の本来の意味、恋をする直前の2人に

は同じ台詞を同じ時に口にするようなシンクロニシティがしばしば

起こるという意味も含んでいます。でも実はそういう偶然の一致

って、恋愛中より夫婦になって、ともに年月を重ねていくと、ます

ます増えるんですよね」


 当初、盛田さんは秋野の夫婦の物語を書く予定はまったくなか

ったという。だが “出口はあるのか?”と半年以上も悩み苦しん

だラストシーンを書くなかで、 そのストーリーは自然に生まれて

きたという。


「堅実な自分の人生の一部だと思い込んでいた妻の、女としての

岐路が突然浮かびあがってきたんです。夫として、今まで考えて

もみなかったそのことに、どう答えを出すのか。 最後の100枚を

書くのは本当にきつかったですね」


 らせん階段を昇るように少しずつ、祈るような気持ちで書いた

というそのラストシーンは、選び取ることの勇気、その大切さを

ひたひたと教えてくれる。