エッセイ再録 「デビュー前夜」  2007 Apr 13 (Fri)  

■再録シリーズ、今回は06年12月9日付「日本経済新聞」
 朝刊の「交遊抄」欄に寄稿したエッセイを掲載します。



  「交遊抄/デビュー前夜」

                            盛田隆二


「盛田サン、ほんとに講談社、出してくれるんすか?」

「いや、とにかく書き上げないことには話にもならない

し、声をかけてくれた編集者も企画を通すには上司の

ハンコが四個もいるって」

「まあ、敵もサラリーマンだから、手強いっすよね」

 若き日の重松清とそんな会話を交わしたのは、一九八

八年のこと。当時重松はフリーライターを生業としつつ、

「早稲田文学」編集室チーフとして辣腕を振るい、一方、

僕は「ぴあ」の編集者の傍ら、単行本デビュー作になる

かもしれない長篇『ストリート・チルドレン』を同誌に連載

していた。

 たびたび編集室を訪ねたが文学談義をした記憶はない。

一昨日は徹夜勤務で、昨日も午前三時まで残業だった。

書きたいことは吹き零れるほどあるのに書く時間がない。

つい愚痴を零すと、 「真っ当な勤め人がぎりぎり睡眠を

削って小説を書く。上等じゃないすか。文壇で胡坐かい

てる先生方をガツンとやってやりましょうよ」 と重松は

啖呵を切った。

 それは、ライター仕事に忙殺される彼自身を鼓舞する

言葉でもあったのだろう。 僕はとても励まされ、会社に

奉仕する自分と、虚構にのめり込む自分の分裂で悩ん

でいたことなどすっかり忘れて、その夜も次の夜も意識

を失って倒れるまで書き続けたのだった。



●写真は本文とまったく関係がありません。
先日、川越市内のバイパスを車で走行中、火災を目撃し、
携帯で撮りました。民家は全焼しましたが、幸いにして
死傷者は出なかったようです。