『二人静』 立ち読みコーナー  2007 Jun 09 (Sat)  

■「本が好き!」(光文社)誌上で、2007年7月号より、
 長編『二人静(ふたりしずか)』の連載がスタートした。
 http://tinyurl.com/ynssmc

 タイトルの「二人静」は、2本の花穂の先に米粒のような
 白い花をつける山野草の名前からとったもの。
 地味な花だが、生命力は強い。
 和名は、源義経の側室の静御前と、その亡霊の舞姿に喩えた
 と言われている。
 http://www.hana300.com/futari.html

 ちなみに「一人静」はこちら
 http://www.hana300.com/hitori.html



■『二人静(ふたりしずか)』の冒頭をちらりと公開


         1

〈お父様が道路で倒れて、川越市内の病院に救急車で搬送された

 との連絡が入りました〉

 町田周吾が総務部の女性社員から、そのメモを手渡されたのは

商品開発会議の最中だった。

 周吾はメモに目をやり、顔色を変えた。

 父は半年ほど前にも一度、家の近くで転倒して、救急車で運ば

れたことがある。そのときは軽症ですんだが、今回はどうなのか

分からない。

「容態など、分かりますか?」

 小声で訊くと、総務部員は腰を屈めた。

「詳しいことは分かりませんが、私のほうで確認させていただい

たところ、命にかかわるようなことはないと」

「そうですか、どうもありがとう」

「失礼いたしました」

 総務部員は一礼し、会議室を出て行った。

 会議には商品企画部の中津川部長以下、関連セクションから

十二名のスタッフが参加している。

「うん? どうした」

 中津川部長が声をかけてきた。

「はい……」

 周吾は事情を説明するべきか迷ったが、私事で会議を中断する

わけにはいかないと思い直した。

「いえ、大丈夫です。続けさせていただきます。資料の二ページ

をご覧ください」

 一年前に発売してヒット商品となったレトルトカレーの売り上げ

が、ここに来て伸び悩んでいるが、スーパーとコンビニのデータ

をチェックしたところ、二ヶ月前に発売されたライバル社の競合

商品にシェアを奪われている実態が明らかになった、 と周吾は

具体的な数字を示しながら現況を手短に説明し、味、品質、容量、

パッケージから、宣伝、販売戦略まで、すべての面で見直す必要

があると力説した。そして商品のリニューアルに向けた課題とスケ

ジュール案を提示し、質疑応答に入った。

 営業、宣伝、研究開発、生産の各部門のスタッフから様々な意

見や質問が出された。周吾は議事を進めながら、それらをメモに

取り、要所で部長に意見を仰いだ。

「ありがとうございました。 いただいたご意見を元に、マーケティ

ング課題をもう一度整理して、 消費者調査の設計に取りかかり

たいと思います。ウェブアンケートに続いて、グループインタビュ

ーを実施する予定ですが、みなさんには実査の前に、調査項目

の最終チェックをしていただきますのでよろしくお願いします」

 周吾の案件が終わって、時計を見ると四時半だった。メモを受

け取ってから四十五分ほどすぎている。

 議題は続いて 「セット米飯」 の新商品開発に移る。商品企画部

の同僚の住谷由郎がリーダーとなり、秋の発売に向けて進行中の

プロジェクトだった。

 リゾットや中華丼など、米飯とレトルト具材を組み合わせたセッ

ト米飯の市場は数年前から二桁の伸びを続けているが、各社と

も既存商品をセット米飯に転換させる動きが活発になり、競争は

激しさを増している。

 周吾もこのプロジェクトの中核メンバーだが、父のことを考え

ると、かたときも落ち着かない。議事の進行を住谷に交代したと

ころで席を立ち、中津川部長に先ほどのメモを見せて事情を話し

た。

「早く行ってあげなさい」

 思いがけず部長に強い口調で促され、 「ご迷惑をおかけしま

す」と一礼して、周吾は会議室を出た。


○写真は「二人静」の花