書評再録・山田詠美著 『無銭優雅』  2007 Jun 19 (Tue)  


■再録シリーズ、今回は07年3月4日付「日本経済新聞」
 朝刊に寄稿した、山田詠美著 『無銭優雅』(幻冬舎)の
 書評を掲載します。

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  40代男女の豊穣奔放な恋描く

                            盛田隆二


 僕はあるジャズ・ボーカリストを贔屓にしているが、CDを

買ったりコンサートに出かけたりするのは、彼女の 「声」を

聴きたいからだ。 歌に微妙な陰影と色彩を与える独特なビ

ブラートやハスキーでいて張りのある声を聴くのが目的なの

で、歌われる曲にはさほど関心を払わない。

 山田詠美のファンもきっと同じように彼女の 「声」を聴きた

くて、この四年ぶりの長編を開くのだろう。文体というより声、

レトリックではなく歌心、と呼んだ方がぴったりくる。

 一節だけ取り出せばこんな声。

「渡された合鍵を初めて使った時の興奮は、今でも忘れない。

鍵穴に、自分、吹き込んだ。その音。かりん、と何かに噛り付

いた気になった。食べていいよと許されたのは、ひとりの男の

丸ごとの生活のたたずまい」


 一人称の語り手は四十二歳の独身女性、慈雨。両親と兄夫

婦の二世帯住宅に同居し、 友人と花屋を営んでいる。 一方、

合鍵を渡してきた男は同い年の栄。 バツイチの予備校講師で、

古びた一軒家に住んでいる。

「心中する前の日の心持ちで、これから付き合って行かないか」

 栄の提案をうっとり聞きながら、人生の後半から恋を始めら

れたのは幸運だ、と慈雨は思う。なぜなら、終わりは死だ、と

思い込めるから。


 互いの美意識や流儀に反するものを注意深く排除しつつ、

二人は心からくつろげる関係を作っていくが、その暮らしぶりは

「贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢

な精神を持っていること」と説き、豊穣奔放に生きた森茉莉を

彷彿させる。無銭優雅。恋にお金はかからない。たとえば慈雨

が縁側で栄に散髪してもらう場面など息を呑むほど美しい。

「しゃきり、と音がするたびに、椅子の下に敷かれた新聞紙の

上に、 切られた髪が落ちる。 それらが風呂敷を滑るたびに、私

の心は落ち着いて行く」


 そんな暮らしと並行して、慈雨の両親の老いの問題や栄の離

婚原因、血縁のおぞましさと愛おしさが綴られ、さらに場面転換

のたびに挿入される名作の引用が本筋と響き合い、狙いすまし

たようなラストの二行が哀切な輝きを放つ。滋味に富む一冊だ。