■「幸福日和」立ち読みコーナー■  2007 Nov 10 (Sat)  


  第一章    ―――二〇〇一年


    1


 チャペルに足を一歩踏み入れただけで、双方の家族から感嘆の

声が上がった。

 園田花織の母はドーム型の天井を見上げ、 それから祭壇の奥

に輝くクリスタルイエローのオニキスを眺めて、「ほんとに素敵」と

ため息をついた。

 花織は母を見て、小さくうなずいた。

「ここが都心のホテルだってこと、忘れちゃいそうよね」


「みなさま、こちらをご覧ください」

 係員がバージンロードの手前に立った。

「当チャペルは本格的なルネサンス様式ですが、たとえばこのよう

にステンドグラスの光が大理石のバージンロードにまっすぐ伸び

るようなオリジナルな設計も施されておりまして、生涯の思い出の

舞台にふさわしく、荘厳にして華麗な演出が可能でございます」


 岡島悠介の母は係員の説明に熱心に耳を傾け、「ここは何人ぐら

い?」と訊いた。

「はい、着席九十名収容でございます」

「ああ、それなら十分ね、悠ちゃん」

 悠介は振り向き、呆れたように苦笑した。

「だから親族全員列席しても三十人いかないって、さっき話した

ばかりだろう?」

「なによ、確認のために聞いただけじゃない。ねえ、花織さん?」


 花織は困ったように頬笑み、アーチ型の窓から夕暮れの中庭に

目を移した。 石畳や噴水などヨーロッパのガーデンを思わせる風

景が広がり、ポピーやタチアオイなど、六月の花々が咲き乱れてい

る。前回、悠介と下見に来たのは午前中だった。中庭はそのときよ

りやわらかな陰影が増して、さらに美しく見える。


 チャペルを見学した後、 二十階のレストランに移動した。 園田花

織と母と兄、岡島悠介と父と母。双方あわせて六人が向かいあう形

でテーブルについた。

 三ヶ月後の九月に挙式をひかえた両家の 「お顔合わせ会」 は、

披露宴と同じ料理を試食でき、記念撮影もセットされたパッケージ

商品になっている。


 花織の実家は静岡に、悠介の実家は千葉にある。ふたりはすでに

双方を訪問していたが、親同士は初対面だった。まず悠介が自分の

両親を紹介し、続いて花織が母と兄を紹介した。

 花織の父が心筋梗塞により四十四歳の若さで他界したのは十二

年前のことだ。母は中学教師をしながらふたりの子どもを育てた。

まだ五十四歳だが、白髪染めをしないシルバーグレーの髪と地味

な服装のため、小柄で品の良い老女に見える。


 一方、 悠介の母は保険会社のセールスレディで、 団体職員の夫

より高給取りだという。すらりとした長身にベージュのパンツスーツ

がよく似合い、五十六歳にはとても見えない。

「本日は遠路おいでいただき、まことにありがとうございます」

 シャンパンが全員に注がれると、悠介が一礼して挨拶をした。

いつになく緊張して、声が少し震えている。


 花織は短大を卒業後、中堅出版社に就職し、今年二十六歳になる。

色白でおとなしい性格だが、 どんなにつらいことがあっても弱音を

吐かない強さを持っている。

 悠介は大手電機メーカーに勤務する三十一歳。高学歴でハンサム、

その上スポーツ万能の営業マンで、ふたりは傍から見れば似合い

のカップルにちがいなかった。


「……未熟者同士ですが、末永く見守ってください。よろしくお願い

します」

 グラスのふちを合わせて乾杯すると、料理が運ばれる前に、指輪

と時計を交換した。それらは先週、ふたりで選んで買ったもので、

ダイヤの指輪は四十万円、ブルガリの時計は十八万円だった。

「じゃ、式のリハーサルをかねて」

 悠介は照れ隠しにそう言って、花織の左手の薬指におずおずと

婚約指輪をはめた。


「おめでとう!」

 悠介の父が突然大声で言い、拍手をしたので、 あわててほかの

三人もならった。

「どうか娘をお願いしますね」

 花織の母は早くも涙ぐみ、二歳上の独身の兄は黙って目を細め

ている。


 ああ、もうこれで引き返せないんだな、と花織は思った。結婚する

ことにためらいがあるわけではないが、悠介と知り合ってからまだ

半年しかたっていない。とんとん拍子に話が進んだので、立ち止ま

って自分を見つめる余裕がなかった。