インタビュー再録 『幸福日和』  2008 Jan 12 (Sat)  


■再録シリーズ、今回は月刊誌「編集会議」に掲載された
 インタビューを掲載します。

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■「編集会議」2008年1月号掲載
 新刊・著者インタビュー○盛田隆二『幸福日和』
 文・前田はるみさん
 写真・吉成行夫さん
 編集部・浦野有代さん

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「盛田さん、なぜ“恋愛”小説を書くのですか?」

「自分が変わることを怖れずに、人と付き合う姿を
 描きたいからです」

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■主人公が過酷な運命にダイブ
 名づけて“ダイブ小説”


 盛田さんの小説を「ダイブ小説」と名づけた読者がいるという。

 作家が小説を書き進めるうちに登場人物が勝手に動き出す、

とはよく聞く話だが、盛田さんの場合は「登場人物が過酷な状況

にダイビングしてしまう。 なんでわざわざ、と思うけど、波に飲み

込まれないように必死で泳ぐうちに、 僕すらも思いもしなかった

ラストにたどり着く」というのだ。


 『幸福日和』 は、 ファッション誌の編集総務として働く25歳の

花織が、妻子ある編集長の白石と恋に落ち、ストーリーが展開

していく。実はこの長編小説、『野性時代』に掲載された短編「ふ

たりのルール」がベースとなっている。短編では、白石と不倫関

係を続ける花織のあるクリスマスの1日が描かれており、これを

読んだ40代の主婦からのメッセージが盛田さんの創作意欲を

かき立て、『幸福日和』が生まれるきっかけになった。


「彼女は若いころに不倫をしていたそうなんですが『当時は本当

に苦しかったけど、あんなに深く人を愛せたことを誇りに思って

いる』 という内容でした。さらに 『息苦しいまでのストイックな愛

で、花織ちゃんを遠くまで連れて行ってください』と書かれてい

たんです。

 彼女の言う“遠くまで”がどこなのかはわからないけれど、とに

かく短編で終わらせるには惜しい。 二人はどのように知り合い、

どこに向かうのか。長編にできるだけの物語があると感じました」。


 盛田さんは、最初からプロットを組み立てて書くことはしない。

その代わり、登場人物の生い立ちから趣向まで、原稿用紙30〜

40枚にわたる履歴書を詳細に作り込むのだという。

「キャラクターを細かく設定することで、 二人がこのように出会え

ば必然的に会話はこうなるだろう、と想像できるんです。執筆中

は白石の気持ちになったり花織の気持ちになったり。 花織にな

りきって、泣きそうになったこともありました」。


 真面目で不器用な白石は恋人と家族の間で悩む。そんな白石に

対して花織は、「たまに会えれば、今のままで幸せ」と言う。それ

って男性の願望じゃないの、と意地悪な突っ込みを入れたくなる

が、そんな“高見の見物”的な読者の視線を超えて物語が疾走し

始めるのが、「ダイブ小説」と言われるゆえん。二人が関わる雑誌

が休刊し、白石と会えない日が続いたり、花織が通い始めたヨガ

教室で不倫歴10年の柴山という女性と知り合ったり、一つひとつ

の出来事に向き合っていくうちに、花織はどんどん強くなってい

く。『幸福日和』とは、そんな物語である。

 読み終えた後は、花織が見つけた彼女なりの幸せに、女性と

してうらやましいような、先を越されたような、そんなすがしさを

感じる。そう感想を述べると 「彼女を遠くまで連れて行けたとい

うことですね」と盛田さんは満足そうに笑った。


『幸福日和』に限らず、盛田さんの作品には恋愛をテーマにした

作品が多い。

「恋愛って、相手によって自分が変わり、また相手をも変えてし

まうことだと思う。10代や20代の頃ならまだしも、白石のように

人生をある程度確立させつつある30代や40代になっても、真剣

に愛されることで自分を変えることができてしまう。自分が変わ

ること、相手を変えてしまうことを怖れずに、 いかに人と付き合

えるか。 それを描くために、恋愛小説を書いているのかもしれ

ません」。


 ファッション誌編集部を舞台とする 『幸福日和』 には、雑誌編

集、販売の裏側を垣間見る、という楽しみ方もある。白石が創刊

編集長を務める雑誌の売れ行きが思わしくなく、返本率の高さが

配本部数の縮小を招くというくだりは出版関係者にとっては身に

つまされる話だろうし、情報誌からファッション誌に異動してきた

ために、エディトリアルデザイナーとのやり取りに不慣れだった

敏腕女性副編集長が、仕事に慣れてきた2カ月目ごろから、と

たんにデザインに関して編集長に強気な発言を始めるところな

どはクスリとさせられる。 こういったリアリティ溢れる描写も、

盛田さんが専業作家になる前、『ぴあ』の編集に18年間携わっ

ていた経験があるから。


「現場が好きだった僕は、28歳の頃から『ぴあムック』の編集長

を任されるようになり、社内調整や広告集稿など管理職として

の仕事にプレッシャーを感じる日々。胃の痛くなるような白石の

気持ちは、当時の僕の経験が反映されています」。

 純粋な恋愛小説としても楽しめるし、出版業界の舞台裏を知る

ガイド本としても読める。編集者なら、あちこちに共感できる一冊

になるだろう。

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 盛田さんの青春は、吉田拓郎とともに始まったといってもいい。

吉田拓郎がデビューした1970年、盛田さんは高校生になった。


「僕は15歳、拓郎は24歳。 拓郎の歌は “反体制を標榜する”

メッセージソングでもなければ、甘い恋愛の歌でもない。でも、

一生懸命に人生を生きて、“どうして自由になるとさびしいんだ

だろう”と純粋に歌うところに共感しました。ぴあに入社してから

は、いつか彼の本を作ろうと思っていましたね」。


 ギターは高校の頃、初めて買った。今でも執筆の合間に吉田

拓郎の歌を弾き語りする。そして週に一度はスポーツクラブへ。

1時間かけて8キロ走った後に、1キロ泳ぐ。「以前はもっと走っ

たり泳いだりしていたんだけどねぇ・・・・・・」。


■盛田隆二さんに一問一答

1.盛田さんが編集者時代に手がけた吉田拓郎の本はどんな本?


 吉田拓郎が出演した映画に 「幕末青春グラフィティRonin 坂本

竜馬」(1986年)というのがありますが、 その映画の本を作りたい

と思って、ぴあの社長を口説いて作りました。広島でのオープン

ロケに随行して、2週間ほどずっと拓郎さんと同じホテルで寝食

を共にしながら、インタビューを行いました。緊張したけど、嬉し

かったですね。


2.編集長の職にありながら、いつ小説を書いていたの?


 平日は書けないので、土曜の夜から日曜の朝にかけて、毎週

10枚は書いてました。当時は30代で徹夜も平気だったんですね。

1年は52週ですから、 毎週末書けば500枚にはなるでしょう。

そうやって、 90年にデビューして96年にぴあを退社するまで、

4冊の本を出版しました。


3.小説家専業になろうと思ったきっかけは?


 当時、新潮社で僕の担当だった編集者さんに言われたんです。

「盛田さん、もっといい小説を書きたいなら、大事なものを一つ

捨ててください」。 大事なものといったら、 家族と仕事でしょ。

それで1年後、 仕事を辞めました(笑)。 そのとき僕は41歳。

編集者として18年間働いてきて、定年まではちょうど折り返し

地点だった。そろそろ小説に専念したいという気持ちもあったし、

『月刊カドカワ』に「夜の果てまで」を連載する機会を得たことが

直接のきっかけになりました。