書評再録・天童荒太著 『悼む人』  2009 Jan 08 (Thr)  


■再録シリーズ、今回は09年1月4日付「日本経済新聞」
 朝刊に寄稿した、天童荒太著 『悼む人』(文藝春秋)の
 書評を掲載します。

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  人間の心の理想郷へいざなう

                            盛田隆二


 新聞の死亡記事を見て、 亡くなった人を亡くなった場所で

「悼む」 ために全国を放浪する坂築静人、三十二歳。 著者が

七年の歳月を費やした新作長編の主人公は、そんな風変わり

な青年だ。故人は誰を愛し、誰に愛され、どんなことで人に感謝

されたことがあったのか、と静人は尋ねて回り、 集めた情報を

ノートに記録し、故人の人生を自らの心に刻み込む。その行為

を「悼む」と呼んでいる。


 そんな静人に人々は戸惑い、反感を抱きもするのだが、本書

を読みながらくりかえし脳裏をよぎった言葉がある。 それは近

年頻発する通り魔事件の犯人が申し合わせたように口にする

「(殺す相手は)誰でもよかった」という台詞だ。


 殺人の動機を問われて「太陽が眩しかったから」と答え、死刑

に際して人々から罵声を浴びることを最期の希望としたムルソー

をさえ髣髴させる彼らの不条理な台詞に、天童荒太は 「亡くなっ

た人を、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておき

たいんです」 という静人の言葉を真正面から対峙させようとした

に違いない。頁を繰るにつれて、その思いが強くなっていく。


 訪ねた土地でたまさか知り得た情報をもって、見知らぬ故人の

人生を理解できるはずもないし、青年の言動はナイーブにすぎる

と舌打ちをする読者も多いだろうが、 たとえ意味のない行為であ

っても重ねることが尊いのだと言わんばかりに、死者を悼む旅は

坦々と続けられる。


 静人を旅に駆り立てるものはいったいなんなのか。その謎を縦

糸として、 一方、静人の怪しげな行動を暴いてやろうとする週刊

誌記者の蒔野、 夫殺しの罪を償い出所したばかりの倖世、末期

がんに侵された静人の母親の三人のドラマを横糸として、物語は

生と死、善と悪、愛と憎しみといった対概念の矛盾を幾重にも織り

込みつつ、 やがて登場人物たちを、 読者を、そしておそらく作者

自身を、人間の心のあるべき姿の理想郷へと導いていく。

 読者はとりわけ 蒔野の変容ぶりを見て、 得心する違いない。

悼む人は静人だけを示すのではない。 悼む人は、誰でもよかっ

たのだ、と。