エッセイ再録 「四十年ぶりの再会」  2009 Jan 25 (Sun)  


■今回は09年1月18日付 「日本経済新聞」 の日曜随想欄に
 寄稿したエッセイを掲載します (原稿用紙5枚半)

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  四十年ぶりの再会

                            盛田隆二


 淡いピンク色のワンピースを着た女性が草原に倒れ込むよう

に座り、丘の上の小さな家を見つめている。季節は晩秋だろう。

灰色に垂れ込めた空も、茶褐色に枯れた草原も、ほつれて風

になびく黒髪も、とてつもなく淋しく感じられるが、無言のまま

何かを問いかけているような女性の後ろ姿には、 ただならぬ

気配が横溢している……。

            ○    ○    ○

 小学六年生のときだったと思う。 その絵を見た瞬間、ぼくは

心をわしづかみにされ、 しばらくのあいだ釘づけになった。

 といっても、 画集を開いたわけでも、美術館で鑑賞したわけ

でもない。 ひどくチープな話だが、 当時、 実家で取っていた

新聞の日曜版に 「世界の名画シリーズ」 のような連載企画が

あり、ぼくは新聞にカラー印刷された一枚の絵にかつて経験し

たことのない感動を覚えたのだった。


 さっそくハサミで絵を切り抜き、 四畳半の子ども部屋を見渡し

た。 鴨居の上の壁には、 作文か珠算か何かでもらった賞状が

額に入れて飾られている。母親が飾ったものだが、かまわない

だろう。 ぼくは賞状を取り出して、 代わりにその絵を額に納め、

ふたたび壁にかけてみた。


 まだ十二歳の子どもだ。 一枚の絵に心を奪われるなんて、

とにかく生まれて初めてのことだったし、後ろ姿で顔が見えな

いとはいえ、 ほっそりとした肢体の大人の女性を描いた絵だ。

ひどく照れ臭く、気恥ずかしさで頬を熱くしながら、いつまでも

額の中の絵を眺めていたことを覚えている。


 その絵がアンドリュー・ワイエスの代表作 「クリスティーナの

世界」 だと知ったのは、高校生になってからだった(新聞から

絵だけを切り抜いてしまったので、 ぼくはそれまで作者の名

前も知らなかった)。


 この絵には、 農村の閉鎖的な慣習に抗って自立の精神に目

覚めた女性の魂の孤独が描かれているに違いない。だからぼく

はこんなにも惹きつけられるのだろう、などと、イプセンの「人形

の家」やボーヴォワールの「第二の性」を読みかじったばかりの

生意気な高校生は、 大地に前のめりになった身体をつっかい

棒のように支えるクリスティーナの細い腕や、ピンと伸びた背筋

を見て、 かなわぬ片恋にも似たセンチメンタルな想いに浸った

ものだが、 やがて大学進学とともに両親の家を出ると、子ども

部屋に飾った絵のことは少年時代のエピソードの一つとして記

憶の引き出しにしまわれてしまい、ほとんど思い出すこともなか

った。

            ○    ○    ○

 その後、 各地の美術館や百貨店でたびたびワイエスの展覧

会が開かれ、ぼくはその情報に何度も接していたはずなのだが、

なぜか積極的に観に行こうという気にならなかった。


 というのも、いまになって思えば、ぼくが新聞に印刷された「クリ

スティーナの世界」 に衝撃を受けたのは 昭和四十年代のことで、

当時は新聞紙面ばかりでなく、 小学館の 「世界原色百科事典」

が話題になるほど、カラー印刷自体がまだ貴重で物珍しく、永谷

園のお茶づけ海苔におまけとして同梱されていた広重の 「東海

道五十三次」の錦絵や、ルノワール、ゴッホなどの「東西名画選

カード」に多くの日本人が文化の香りを感じ取っていた時代だ。


 やがてオイルショックを機に高度経済成長が終わり、安定成長

期へ、そしてバブル経済の崩壊を迎える頃には、新聞から切り抜

いた一枚の絵は、まるでトレーディングカードのように集めていた

「東海道五十三次」 の錦絵と同様、 ぼくにとってはなつかしい

昭和の記憶として物語のように遠い存在となり(いや、見当違い

もはなはだしいことは十分に承知しているが)、平成の現在と

容易に接点を持たなかったのだった。

            ○    ○    ○

 それが去年の暮れ、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで

「アンドリュー・ワイエス ― 創造への道程」 と題した展覧会が

催されていることを知り、 十二歳の自分に再会するような期待

に胸をはずませて会場に向かったのだが、ぼくはそこで実在し

たモデル、 クリスティーナのことを初めて知って愕然とする。

彼女は幼い頃にかかったポリオのために手足が不自由だったと

いう。 淡いピンク色のワンピースを着た女性は立って歩くことが

できず、草原を這って我が家に戻るところだったのだ。


 テンペラ画の 「クリスティーナの世界」 そのものは、残念なが

ら出品されていなかったが、 この絵の制作のために描かれた

何点もの素描や水彩画など、丸沼芸術の森コレクションの習作

群がそれを補って余りあるほど魅力的だった。固く握りしめられ

た指先や、身体を支えるために精一杯つっぱっている華奢な腕

など、 部分的に描かれた素描作品を見ているうちに、 鼻の奥か

らつんと込み上げてくるものがあった。 何も知らない十二歳の

子どもの心を揺さぶった理由が少しだけ理解できたような気がし

たのだ。


 クリスティーナの手や足を美化することなく、ありのままに描く

ことが彼女への尊敬の証だと、ワイエスは語っている。

 障害をものともせず、 貧しくも逞しく生き抜く彼女の姿にワイ

エスは感動し、緻密なデッサンを重ねながら、こんなに寡黙で

生命力にあふれた絵を描き上げたのだろう。

 あの一枚の絵が完成するまでの貴重な過程に、自分はいま、

四十年ぶりに立ち会っている。 そんな思いに駆られて、クリス

ティーナのごつごつと節くれだった手から、 いつまでも目を離

すことができなかった。


 ――ここまで書いてきて、なんということか、ワイエス氏逝去

の悲報が入った。 享年九十一。どうか天国で氏とクリスティー

ナが再会できますように。合掌。