金曜日にきみは行かない
1994年3月20日 朝日新聞社 1600円(税込) 229頁
[Data]
#書き下ろし長編小説
#装丁: 高橋雅之
    (高橋さんには「サウダージ」「湾岸ラプソディ」「リセット」の装丁もお願いしました)
#カバー写真: 細川晃
#編集者: 矢坂美紀子


再録[後 記]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 ひとつの単純な行為、あるいは映像を思い浮かべながら、ぼくは小説を書き進める。
 『ストリート・チルドレン』のときは模様の入ったガラスを一枚ずつ重ねていく行為を、『サウダージ』では見る角度によって本数の違うお化け煙突を、『ラスト・ワルツ』ではどうしても一片だけ余ってしまうジグソーパズルを思い浮かべながら書いた。
 今回は穴掘りである。穴掘り、それは“自分の足下を掘ればやがて普遍性に辿り着く”という、かつての文学信仰と似ているが、やはりそれとは違うような気がする。
 最初に穴を掘ったのは九歳のときだった。その夏、ぼくはひとりで近くの雑木林の隅に穴を掘っていた。誰かにそれを咎められたら、なんと答えればいいのか。
 「なにをしている」「なぜ穴を掘っている」
 その質問には、ただ無言で立ち向かうしかない。恐怖心と緊張感と疚しさに圧倒され、いまにも泣きだしそうだった。
 一メートルほど掘ったところで硬い層にぶつかり、それ以上掘り進めなくなった。そっと穴の底に座ってみた。すると、奇妙なことが起きた。それまでの恐怖が一遍に消えたのだ。それは新鮮な驚きだった。「なぜ掘るのか」などという質問にはまったく答える必要がない。それに気づいたのだ。
 だが、穴のなかではなにもすることがない。ぼくはうとうとしながら、地下の廻廊を夢見た。蟻の巣のように地下に自在に廻廊をめぐらせたらどんなに愉快だろうと思った。廻廊をいくつも枝分かれさせ、それぞれの先に隠れ家を作る。冬が来るまでには、学校までの三百メートルほどの距離を地下廻廊でつなぐことができるだろう。ぼくはそのとき生まれてはじめて自分の力でこの世界に自分専用の場所を作ったのだ。
 だが、ぼくはもう九歳の子どもではない。なぜ掘るのかという質問には相も変わらず怖じ気づいてしまうが、掘った穴の底で見る夢の甘悲しさ、なつかしさは、なにものにも代え難いものとすでに知っている。合理と非合理、常識と非常識、自と他、有と無、そして生と死。すべての生命が生の存続を求めていることに根拠づけられた、これらの見せかけだけの反対語が、穴の底ではいともたやすく反転してしまう。「異常」の排除を目的とした偽りの対概念が、造作なく等号で結ばれてしまう。
 それはなんと心安らぐ光景だろう。 
 末筆ながら、出版に御助力いただいた朝日新聞社出版局、『サウダージ』に続いてすばらしい装幀をしてくださった高橋雅之さんに感謝を捧げたい。
  一九九四年 春                               盛田隆二

 


金曜日にきみは行かない(文庫版)
2006年3月25日 角川文庫 460円(税込) 202頁
  
[Data]
#書き下ろし長編小説
#1994年3月、朝日新聞社より刊行
#2006年3月、角川書店より、文庫刊行
#解 説: 柴田元幸
#装 丁: 高柳雅人(角川書店装丁室)
#フォト: Emanuele Mascioni
#編集者: 立木成芳


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